都会に行って過去の自分をみた気がした話

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こんにちは。

先週末から4日ほど首都圏に出張してきました。

宮城に拠点をうつしてからも、首都圏には毎月のように伺っています。

3回目だった今回はあきらかに見え方、とらえ方が変わったと実感しました。

わたし自身が心と体に余白をつくることができてきたのか。10数年の首都圏生活で培ったものなのか。

どちらにしてもキャッチする情報の量、質ともに増えたことは間違いなさそうです。

すこし環境と時間の使い方を変えることでこれだけの違いがあるのですから、現代人は自分自身の生き方やトリセツづくりにもっとリソースを注ぐことが必要ですね。

目次

都会を歩く人

わたしが見つけた都会の人の違和感。

それは街をあるくひと達の”目”、まなこです。

多くの人がうつむき加減で疲れた顔で目に生気がないんです。

街は華やかで活気づいていますが個々で見るとマイナスのエネルギーが強く、非常に目立っています。

何も考えなければ、マイナス×マイナスでプラスに感じ、錯覚する。そんな印象。

「木を見て森を見ず」ではいけませんとよく言われますが、

「森に惑わされて木を見ていない」も同じくらい気をつけたいことです。

わたしもそのひとりだった

そういうわたしもそのひとりでした。

生気のない目をしている日があったはずですし、見えない不安に支配されていた日もありました。

マイナスなエネルギーを出して街に振りまいていたでしょう。(ごめんなさい)

人間は良くも悪くも環境に依存影響される生き物です。

だからこそ、その環境を異なる場や視点から冷静にみる時間をもつ。

何かを捨てて余白をつくるからこそ新たな発見があります。

昔の日本人は定住しなかったとも言われているので、今が異常なのかもしれませんね。

そう考えると日本の文化や歴史の発展は、ひとりひとりの生き方や価値観の変化にささえられてきたのでしょう。

自分の見ている世界が”絶対の正解”と思いたいのが人間ですが、反対の世界ものぞきに行ってこそ自信をもって選択できるようになります。

現代人は力を抜いて冷静に、考える時間をつくる。ここからはじめてみましょう。

正解を見つけるより、理解を深める気持ちで。

千葉 のぶたか

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